愛犬家住宅 スタッフブログ

「愛犬家住宅と私」代表取締役 榎本 修

2017年07月26日

子供の頃からペットと暮らすことが多かった私は、

街のペンキ屋さんである榎本塗装店の2代目として昭和41年に生まれました。

中学生からはバスケットボールに夢中になりましたが、幼稚園から小学校にかけては外遊びが大好きな活発な子供でした。

    

初めて我が家に来た犬は柴犬でした。

幼稚園の頃に父の知り合いの近所の大工さんの作業小屋に、柴犬をもらいに行った事を良く覚えています。犬の他に小学校の門の前で購入したヒヨコや、家の近所のペットショップで購入したインコや文鳥やウズラといった鳥類を飼育したり、リスやモルモットもいました。

現在では考えられませんが、昭和40年代は小学校の前でヒヨコが売られていたのです。

こんなエピソードもございます。私が購入したヒヨコが我が家に来て、すぐに弱って死にそうだったとき、小学校低学年ながら限界まで見守り、水を飲ませ、餌を与えたことで、元気になって立派になったと言う話です。

死にそうになったヒヨコが大きなニワトリに成長したことのドキュメントの作文が賞賛され先生に褒めてもらった事が嬉しい記憶です。

また昆虫博士と自負した私は、カブトムシやクワガタや蝶といった昆虫採集も好きでした。

我が家に来た柴犬はとても元気で可愛らしい愛犬でした。

昭和40年代の榎本家では番犬として玄関の前に小屋があり、そこで「ムツ」は家族の一員として暮らしていました。

人なつっこく、可愛い顔をした柴犬は、街の人気者でした。

自宅の前の路地で風呂屋の煙突を背にして草野球をすることが多かった私をいつもムツは見ていました。そこには車は入ってきませんので子供にとっては絶好の遊び場でした。

夕方になると風呂屋の前に来るおでん屋で、親からお金をもらいおでんを買ってムツと近所の友達と時々食べました。

いつも一緒に遊んでいた私が大好きだったのだと思います。

小学校の高学年になった時の事、無常の日が訪れました。

そこには日に日に痩せてくるムツがいました。フィラリアであったと思います。

小学生ながら夜に何かを感じたのでしょうか?

心配をしながら、小屋を覗きにいきました。そこには、弱弱しい目で私を見たムツがいました。

私は無意識に、リードをはずしました。するとムツはヨロヨロ歩き始め玄関の引戸の前に進んで行きました。中に入りたそうだったため引戸を開けたら、最後の力を振り絞り玄関に入り、玄関の中で倒れてそのまま帰らぬ犬となりました。

涙が溢れ止まる事はありませんでした。大声で泣きました。

家族の一員である愛犬が死んだことは大きなシヨックであり途方に暮れてしまいました。

自宅の敷地にムツを埋めようと涙ながらに土を掘りました。

私の自宅は庭がなく土の部分は隣地のわずか数十センチでしたがそこでムツは永遠の眠りに入りました。

私が生まれ育った借家は今はありません。大型のスーパーになると言う事で、いきつけのペットショップや風呂屋を含め全世帯が転居しました。

あれから40年が経過した今、柴犬のムツが眠る大型のスーパーの横を、私と愛犬のQPで散歩をしています。

父が昭和38年に創業し塗装店としてスタートした榎本塗装店は私が社長に就任した12年前にセラフ榎本と社名変更し、本格的に分譲マンションの大規模修繕の専業会社として大規模修繕工事業界に参入しました。現在はISOの認証取得、売上高15億円、一級建築士3人を始め技術系の有資格者25名になり、正社員は37人です。

創業以来施工し続けている戸建住宅のリフォーム工事全般から12年前から本格参入した分譲マンションの大規模修繕工事はもとより、近年では高い技術力を武器に新築の注文住宅も施工しております。

愛犬家の皆様にご提供させて頂いている愛犬家住宅は私の肝入りの事業です。この事業には特別な思いがたくさん詰まっています。

お陰様で数多くの愛犬家の皆様から愛され様々なお声掛けを頂いております。

愛犬家の皆様のご意見をよく聞き問題解決に向けてお役に立てるよう全力で打ち込んでまいります。

 

愛犬QP

 

株式会社セラフ榎本

代表取締役 榎本修

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